こんにちは!えいちゃんです。
今は情報を発信するにあたってあらゆるものがある。
TVは一般人には無理だけど、Twitter、Instagram、YouTube、そして今ブログで発信している。
あらゆる媒体が発達しているのはそれぞれにニーズがあるからで、Twitterは呟くこと、Instagramは日常をちょっと綺麗なフィルターを通して見せること
じゃあ、ブログは何?って言うと、多分本心を吐き綴るところにニーズがあると思う。
だから、これからは「感情の機微」によりフォーカスを当てて発信していきたい。
とまあ、最近なんでブログ書くんやろって思って間隔が空いてしまっていたので思い直していたことであります。
そして、最近思った事。
働き方や人との向き合い方とかは年代を通して、その時代をみて、絶えず変えていかないといけないなぁ、とは思っているのですが、今まで自分の中で「こうしたいじゃん」みたいなものはあんまりなかったなと思うんですよね。
で、最近気づいたことが、これがないと日常って怖いんですよね。
周りの主張を汲み取る事しか出来なくなってしまう。特に自分より上の役職の人・先方に対してこっちからのベクトルを作り出せなくなってしまう。
そりゃ能力では劣るけど、でも、今を生きてるのは俺で、これからを創っていくのは俺自身だって思って生きてる方が楽しいに決まってる。
今の上の役職の人の気持ちはプレッシャーは分からない。
けど、自分が大学生の頃、カヌーというスポーツをやってて、1年生の頃は助けてもらう側で、大変そうにしてる上級生が毒づく言葉の節々に「それって上に立ってるからって正しい事なのか?」って思う事は多々あった。
それが自分が上級生になった時、やっぱり分からなかった。
自分が助ける側になった時、昔上級生が吐いていたようなことなんて上に立つものとして絶対言ってはいけないことだと変わらず思っている自分がいた。
例えば自分の価値観は、干渉を抑えて+αは自発性に委ねるスタイル。
干渉は「必要な事」に絞って、こうした方がいいよねは指導という形を取らず、アドバイスにする。これが個人を活かすには一番だとずっと思ってる。
今の立場では、言えない事もある。
けど、今の立場でも「創っていく側なんだ」っていう気持ちは失いたくない。
「創る」っていうのは刹那的なこと。
何かが達成できた時、創ってるって感覚がある。
試験に受かる、試合に勝つ。積み上げて得られる大きな刹那があるし、これは大切。
けどそれ以外にも、そういう戦い、ゴールが日常にアンテナを張るとあらゆるところに張り巡らされてる。
その瞬間に何かを成すことで得られる刹那的快感が何より必要な事だと感じてる。
『周りにどう見られようと』『死んでも構わない、、』
強い本能のような衝動に身を委ねて、その中で生きてる時に初めて掴み取れる。
それが一番大切なものだと感じている、、
それではまた!!
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