こんにちは!えいちゃんです。
マカロニえんぴつのたましいの居場所がいい歌過ぎて鬼リピートしてる。
声がいい。辛い事もあるけど、しょうがねぇよな、そりゃないよな、まあ頑張ってこうぜ、みたいな感じの声してる(どんな声やねんw とにかく素敵です(笑))
最近感じてることが、職場・プライベートで会う人どっちもなんですけど、本当に純粋にもっと仲良くなりたいなって。小学生みたいなんですけど、本当に毎日思っていて。
それで感じるのが、自己開示ってところで、やっぱり正論とか、正しい事を言ってる時って自分は安心というか、自分にそれで槍みたいなものが飛んでくることがないのですごく言ってて楽ではあるんですよね。
でも、それってやっぱり面白みはないし、取り繕ってるやつみたいな感じでどうしても所謂つまらない人やなって思うんですよ。
だからって思ってることなんでも言っていいかって言ったら全然そんなことなくて、私なんてそこのリミッター外したらただの社会不適合者丸出しなんで、そういう訳でもないんですよね。けど、人と繋がるのってそのギリギリの部分というか、ちょっと嫌味っぽさでもあり、何言ってんだこいつ的なところに共感や帰属意識のようなものが形成されると思うんですよ。
職場ではあんま言えない、じゃないけど。
そのギリギリのラインが職場・プライベートそれぞれにあって、そこをいかにうまく突いていけるかでそれぞれの懐にもう一個グッと入っていける、そんな気がするんですよね。
そこって度胸がいるし、度胸だけでなくてテクニックもいる。本当に賢さが求められる部分。また、「やばさ」っていう自分の中にあるものの外壁のようなものを少し削いで開示していくみたいな作業やな、って感じます。表現しにくいし、そこまで際際を責めるのは良くない気もするけど。信頼を失うのは最悪だし。
昔、中1だったかの時に担任の先生と面談があって、その頃に私は周りから見たら割と分け隔てなく接しているように映っていたかなとは思うんですけど、それをおそらく先生も感じていて、「誰かクラスで苦手な人とかいない?」って聞かれたことがあったんですよ。多分先生は私が無理して八方美人みたいな感じで振舞っているのをおそらく気にかけてくれていたんだと思います。
その時、私は「あいつとか苦手ですね」って普段仲良くしてる奴がたまたま扉から覗いてたのが見えたんで、そいつを指さして答えたんですよね。
それを聞いて先生が「そういうのがお前の上手いところだよな」って言ってくれたのを未だに覚えてます。
バランスというか、そういう空気感はコミュニケーションで一番大切やな、と感じる今日この頃でした。
それではまた!!