こんにちは!えいちゃんです(^^♪
マリナーズの菊池雄星投手の出身校、花巻東高校(大谷選手等も輩出している野球の名門校)では、本を読む習慣が学校全体であるらしく、その影響もあってか菊池選手は年間約200冊もの本を読む愛読家なんだそうです。
そんな彼が本にまつわるインタビューを受けていた際にこんな事を言っていました。
「本で野球に関する知識が得られることは多い。自分がその時足りていないと感じるものを書店で感覚的に選んで買い、読むようにしている。ただ、知識ばかりが先行すると頭でっかちになってしまうから、そのバランス(知識と実践)は大切にしている。」
スポーツでは特に頭で思い描く形と、実際の体の動きには乖離があるので、その原因を突き詰めていく中でどうしても理屈が先行してしまうという苦悩があっての発言なんだと思います。
この苦悩の根本にあるのは「実践の難しさ」なのだと思います。
この前ゴルフのショートコースデビューをしたのですが、全然打ちっぱなしのようなスイングが出来ませんでした。一発勝負の環境がそうさせるのかは不明ですが、「打つ」という環境においてはさほど変化のない中でも、こんなにスイングに影響が出てしまうというのは、やはり実践の難しさなのでしょう。
そんな実践の中において、意識しておかないといけないことは「9.5割の力で臨む」という事。
よく「8割の力で」とかいうけど、力を抜くと集中力も落ちるからあれは多分正しくない。
「スピードも力も意識するんだけど、それを自分の意識の中で制御出来る範囲内で行う」=これが自分の中では「9.5割の力で行う」という事かなと落とし込んでいる。
あと、数と質を両立させるという事。
これは厳密に言うと、「数と質を両立させる練習メニューを組む」という事だと考えている。
自分の能力で解決できる範囲で尚且つ簡単すぎない、そういう課題を選ぶことによって初めて「質と量の両立」が実現できる。
自分の能力よりも高い問題を解こうとして集中力が切れるのは人間の本能。
そういう問題に対しては「今まだ自分はそのレベルにいない」と見切りをつける必要がある。
これが出来ないと質も量も担保出来なくなってしまう。
魅力的な人はもれなくめちゃめちゃ活動していることが多いのだけれど、そういう人は自分の出来ることが多い+沼にはまらない(自分の出来ることをわかっている)という特徴がある。
この資質はとても大切で、これがわかっていないと理想と現実のギャップに悶え苦しむことになってしまう。
カヌーというスポーツで「戦略的ブッチ」というのが初級者ではよく話題になる。
カヌーは全てのゲートをくぐり、そのタイムを競うスポーツで、ゲートをくぐらないとペナルティでタイムが加算されるのだが、初級者が上級者と同じコースに挑むとき、「これ初級者にはどう考えても通れんやろ」というゲートがあることがある。
そんな時に賢い選手は最初からそのゲートがないものとしてコースメイクする「戦略的ブッチ」を行う。
初めからタイムが加算されるから、理想のタイムは絶対に出せないし、今の実力に折り合いを付けないといけないから、屈辱的でもある。
80秒を出したいのに、最初から90秒を狙う、という事をしている訳だ。
ただ、理想を追い求めるものはそこで80秒を狙って、全体のバランスを崩し、100秒、110秒というタイムになる。
結局90秒に劣ってしまうという事になるわけだ。
時に屈辱的でもある「戦略的ブッチ」は大局観で見れば有効な手段と言えると思う。
そして、全体のリズムを崩さずに、自分の能力を見極め、圧倒的な「質と量」を実現する。
自分の能力を見極める、向き合うという事は時に苦しい作業ではあるけれども、これを避けて通ることは出来ないし、その過程を経て初めて、「自分はここをあとちょっと伸ばしたいな」という部分が理解出来る⇒それをクリアする=成長の喜び、達成感 という正しいサイクルを回すことが出来る。
ただ漠然と「あれも足りてない、これも足りてない」では解決にならない。「どう足りてないか、まずはどこを補えるか」が大切なのだから。
沢山足りてないものがある時も、基本は同じだと思う。一度に多くは吸収できないから、まずはこれを理解する。次はこれを理解する。と体系立てて吸収していかないとパンクしてしまう。その自分のリズムを崩さないことが何より大切。
今回は、ふと学生の頃「戦略的ブッチ」が嫌で、受け入れられなくて、、という事を思い出したのでネタにしてみました。
「戦略的ブッチ」を本能的に受け入れないのは悪い事じゃないと思う
それは闘争心の元でもあるから。結果は出なくて苦しむと思うけど(笑)
ただ、何かを伸ばそうとしたときに冷静に自分の実力を計る、それはやらないといけないことだと思います。
それではまた!(^^♪
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